大判例

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最高裁判所第一小法廷 平成5年(行ツ)178号 判決 1994年10月27日

上告人

永井清

実方藤男

被上告人

右代表者法務大臣

前田勲男

右指定代理人

石川利夫

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告人らの上告理由第一について

監獄法三一条二項その他の所論の法令等の規定が憲法一三条、一九条、二一条に違反するものでないことは、当裁判所大法廷判決(最高裁昭和五二年(オ)第九二七号同五八年六月二二日判決・民集三七巻五号七九三頁)の判示するところである。また、所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができる。閲読を許された他の記事との対比をいう所論の主張は、結論に影響しない事由に基づき原判決を論難するものであり、原判決に審理不尽、理由不備の違法があるとはいえない。原判決にいう本件抹消処分(二)に違法があることを前提とする所論違憲の主張は、その前提を欠く。論旨はいずれも採用することができない。

同第二について

監獄法五〇条、監獄法施行規則一三〇条に基づく信書に関する制限が憲法二一条二項前段にいう検閲に当たらないことは、当裁判所大法廷判決(最高裁昭和五七年(行ツ)第一五六号同五九年一二月一二日判決・民集三八巻一二号一三〇八頁、最高裁昭和五六年(オ)第六〇九号同六一年六月一一日判決・民集四〇巻四号八七二頁)の趣旨に徴して明らかであり、右の信書に関する制限を定めた所論の法令の規定が憲法二一条に違反するものでないことも、当裁判所大法廷判決(最高裁昭和四〇年(オ)第一四二五号同四五年九月一六日判決・民集二四巻一〇号一四一〇頁、前示昭和五八年六月二二日判決)の趣旨に徴して明らかである。所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができる。原審の適法に確定した事実関係の下において、本件各信書が申し出られた日の翌日等に投かんされたことをもって違法とはいえないとした原審の判断は、正当として是認することができる。その余の違憲の主張は、右の措置が違法であることを前提とするか、又は独自の見解に立って原審の右判断の違法、不当をいうものにすぎない。論旨はいずれも採用することができない。

よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官三好達 裁判官大堀誠一 裁判官小野幹雄 裁判官大白勝 裁判官高橋久子)

上告人らの上告理由

第一 <省略>

第二 本件信書発信遅延処分は違憲違法である。

第二審判決は憲法一一条、一三条、一四条、一九条、二一条の解釈を誤り、破棄を免れない。本件処分を正当化する監獄法四六条一項、五〇条、監獄法施行規則一三〇条一項も違憲であり、それらの規定によりなされた本件処分は違法である。第二審判決はただちに破棄されなければならない。

一 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

1 第二審判決によれば、「本件各信書の発送について」は、右の題目も含めてわずか六行しか書かれておらず、憲法に抵触する本件処分を審理したとはとうていいえない。原判決は第一審判決を正当とし、その理由は、第一審判決の「記載の説示のとおりである」とするが、これでは第二審裁判所の面前で行われた審理すら自ら無視、黙殺するものである。

2 本件処分は憲法一一条に違反している。「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない」が、ここでいう国民とは一切の例外を含まない、すべての国民をさすことはいうまでもない。本件処分を正当化するところの法や通達、規定は、基本的人権は、侵してもかまわないという思想に立脚するもので、きわめて反人権的な危険なものである。

3 本件処分は憲法一三条に違反している。「すべて国民は、個人として尊重される」。また、「国民の権利については、」「国政の上で、最大の尊重をされる」。このとき「公共の福祉に反しない限り」との条文から、ある範囲においては個人は尊重されなくてもかまわないと考えるとすれば、まったくの誤りである。また本件処分の違憲違法行為においては、個人の尊重がおびやかされるべき公共の福祉は存在していない。

4 本件処分は憲法一四条に違反している。「すべて国民は、法の下に平等」であるからだ。東京拘置所の未決在監者であるからという理由で、本件処分の違憲違法行為は許されない。また、その人の「信条」によって「差別されない」のが憲法の精神であるから、本件処分は明らかな憲法違反なのである。

5 本件処分は憲法一九条に違反している。「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」のだから、明らかである。この正義は心の自由をいうものではなく、法や行政、また国民の諸行為の具体的な発現に対していわれるものであるから、そもそも被上告人である国が侵すとは、まったくもってあきれるばかりであろう。

6 本件処分は憲法二一条に違反している。とりわけ、二項でいう「検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない」は、本件処分に文字どおりあてはまる。「検閲は、これをしてはならない」とは、いうまでもなく、「すべての検閲」を禁じたものである。通信の秘密もまったく同様であり、一切の例外を許容したものではない。本件処分は現象的には処遇の違法として提起されているが、その基底にはそもそもこの憲法二一条違反がある。すでに述べた憲法各条と比べて、この二一条二項の条文は、きわめて具体的であることに注目しなければならない。それは、検閲および通信の秘密の侵害が、人びとにいかに大きな損害を与え、さらに社会に害悪を与えるかの深刻な歴史的反省があったがゆえに、このように具体的に、かつ例外を許さぬ迫力をもって表現されているのである。検閲や通信の秘密の侵害を認めることは、憲法の民主的な精神の根幹を否定することにもなるからである。

7 以上から明らかなように、原判決がよりどころとする第一審判決の全体の構造が崩れることになる。在監者の信書の発受について、監獄法四六条一項は、「在監者には信書を発し又は之を受くることを許す」とあるが、これは憲法二一条に違反している。同条文には端的に「通信の秘密は、これを侵してはならない」とあるだけである。これは秘密を認める以前に、通信の絶対的な自由と権利を認めたものであることはいうまでもない。つまり、通信とは絶対的な自由と権利であるから、何人といえども「許す」または許さないということはできない。そのような許認可が憲法二一条によって最初から排除されているのである。したがって、監獄法五〇条の「接見の立会、信書の検閲其他接見及び信書に関する制限は命令を以て之を定む」との規定もナンセンスきわまりない憲法違反である。「信書に関する制限」はそもそもしてはならないのであり、「命令を以て之を定む」などの反憲法的なことはきびしく禁じられるべきことである。しかも堂々と「検閲」の文字まで使用されている。「検閲は、これをしてはならない」との条文に対して、まっ正面から挑戦している反民主主義的、封建的な規定といわざるをえない。

8 さらにこれらの規定を受けた監獄法施行規則一三〇条一項の「在監者の発受する信書は所長之を検閲す可し」となると、憲法とは何の意味も力も持たない紙切れ上のインクの列にすぎないのかと落胆するしかなくなってしまう。これらから第一審判決では「信書の検閲の方法もその(監獄の長の)裁量に委ねられているものと解される」というが、裁判所自らが「信書の検閲」なるものを前提にしていることは恥ずべきことであろう。「検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない」とは、単なる寝ごとのようなものにすぎないのであろうか。

二 信書の検閲には必要性がない。なんら必要性のない検閲によって発生した本件処分は、上告人らの基本的人権を侵害した違憲行為であり、また上告人らに多大な損害を与えたものである。

1 本件処分の前提となる信書の検閲には、合理的な理由がなく、そもそも検閲を行う必要がないのである。未決在監者である被告人が拘禁される合理的な理由は、逃亡と証拠隠滅を防止すること、ただそのためだけである。したがって信書を、発信であれ受信であれ検閲することとのあいだに関連はない。むしろ、検閲がないことによって被告人は公正な裁判を受ける権利を行使するための条件が整うのである。

2 欧米諸国では、刑確定後の受刑者に対してさえ、信書の検閲は行われていないのが通例である。人権意識の差でもあろうが、そもそも必要ない検閲なら行わないという合理精神の現れでもある。

3 信書の検閲には合理的な理由がないばかりか、たとえ合理性が乏しくとも、また皆無であっても被上告人の側からもその理由は示されていない。また検閲を行わないときに発生するマイナスなども明らかにされていない。以上から、信書の検閲そのものが妥当性を持ちえないことがわかる。

三 本件処分は未決在監者の処遇に差別を導入し、平等を否定しており、憲法一四条に違反している。

1 本件処分の前提となる信書の検閲において、前もって「特に外部交通の状況に注意を要する在監者の信書」については、遅延そのものが制度化されており、無罪の推定を受ける未決在監者としての公正かつ平等な処遇が否定されている。

2 富山聡証人の証言によれば、「私どもが動静に注意を要すると考えております被収容者」すなわち信書の発信を遅延させられる者は、「当時一八〇〇名程度」のうち「一〇〇名程度」という。これらの人たちが「法の下に平等」とあるにもかかわらず、差別を受け、そのために損害をこうむっていたことになる。これは刑確定後の受刑者に対する累進昇級制度にも似たものが、未決段階にも導入されていることになり、問題として指摘されよう。

3 しかも要注意者とされた者の信書は、二重の検閲を受けていることが明らかになったが、これも法の下の平等に違反する。

4 第一審判決では、「何ら乙川及び原告甲野についてのみ不平等な特別の取扱いをしたものとはいえない」とされているが、まさに裁判所も「不平等な特別の取扱い」であることを認定しているのである。しかし、裁判所はこれを違法とはしない。なぜなら他にも不平等な特別の取扱いをされている者が存在するからというのである。これは違法か否かを認定することと何の関係があるのであろうか。問題は不平等な取扱いの存否であり、他にも該当者がいたかどうかではないのは明らかである。基本的人権は、その侵害を訴える者以外にも侵害された者がいるのならば、違憲違法ではないとでも主張するのであろうか。

四 信書の発信を遅延しないことは可能であり、憲法に違反してまで遅延を正当化する理由は一切ない。

1 第一審判決は本件処分について「合理性を肯認できる取扱いに従った信書の検閲を行うために、右出願から投函までに通常の処理に必要な時間を要したにすぎず、右取扱いは合理的かつ相当」としている。つまり、「信書の検閲事務は可能な限りその日のうちに終わらせるようにしているが」、要注意者の信書については、上司の決裁を得なければならず、余分な時間が必要になり、その結果、一日遅れるが、それはしかたのないことだというのである。しかし、これは、まず事実に反している。信書の検閲事務担当者は「可能な限りその日のうちに終わらせるようにしている」のではなく、最初から二つのグループに差別しているのである。発信遅延は制度化されてしまっているのだから、第一審判決(それゆえ原判決)の認定は誤りで、法の下の平等に反し、憲法に違反する本件処分を救済してしまっている。

2 原審(第二審)での富山証人の尋問において、上告人らは「最初から要注意人物の被収容者はわかっているわけですが、その人の分だけ最初に優先的に見て、それから上司に回すということをすれば、優先させることによって結果的に不平等がなくなると、同じ日に出せるということになるんじゃないですか」と質問し、さらに裁判長も「そういう取扱をしたことはないですか」と促しているが、「してません」と答えている。そこで裁判長は、「要注意者について二段階で慎重な審査をするということになればどうしても発信が遅れるであろうと、その遅れるのを少しでもなくすために、特別の手当、方法を考えたことはあるんですか、という質問ですけれども、その点はいかがですか、」と質問しているが、富山証人の答えは「少なくとも私がいた当時、要注意者だけを逆に係の段階で優先してということは検討していなかったと思います」というものであった。これは何を意味しているかというと、被上告人は、発信の遅延を問題にし、改善しようという気持ちさえまったく有していなかったということである。結局、可能な限りその日のうちに終わらせるようにはしていないのであるから、原判決の認定は根拠を失い、崩れてしまう。

3 検閲を行わなければ、そもそも信書発信の遅延は発生しない。しかし、仮に検閲を行うにしても、要注意者なるものの信書は最初から上司が行うか、担当者が優先的にこれらの信書を検閲し早い時刻に上司に決裁させるかの方法を採用するなら遅延は防げることになる。百歩ゆずって事務作業に要する時間を含む取り扱いの制度のために基本的人権が侵害されることについて、いたしかたないとしても、困難では決してない制度の簡単な改善によってその侵害が不要となるのなら、改善を検討せず試みないことこそ、基本的人権の侵害となる。ゆえに本件処分は避けられるべきことであり、避けなければならないことだったのである。

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